●寛解への焦りと執着

復職から約2年経過した頃(この頃は、私にとって病気の終盤戦だと感じている)は、病気に対していくつかの答えと、私なりの寛解への道筋が見えてきていた。元気な頃と遜色ないくらいに心身ともに回復してきている、という実感もあった。

月1回の受診とカウンセリングは継続していたが、仕事も順調でほぼ元通りの生活になっていた。

しかし、病気になった事を一日たりとも忘れる事はなかった。とは言え、悔やんだり悲しんだりするのではなく、ただ単にふと思い出すといった感じ。病気の中盤戦では、悔やんだり残念がったり悲しんだりする事があったが、この頃には、その感情はもう乗り越えていた。

「思い出さないようになった時が寛解なのかもしれない。」「着実に回復してきている。ここで止まらずに、一刻も早く、病気からもっと遠くへ逃げないと…」「寛解にとらわれ過ぎている。寛解とかいちいち気にしないようになりたい」そんな思いが入り交ざり、イライラする時もあった。

“寛解までもう少しのところまできている”という実感があるがゆえの、寛解への焦りと執着であった。

●不安や悩みはさらけ出す

1.上司への報告

復職直後は、保健師・人事課長・直属の上司へ、受診の報告等をするように指示をされていたが、復職から約1年経過した頃には、「報告はもう必要ない」と言われた。しかしその後も、自主的に、病院を受診した事・主治医の診断内容・日々の業務の中での心情や体調の事を、直属の上司にだけは定期的に報告をするようにしていた。

「上司は部下を管理する責任があり、部下は上司に報告する義務がある。長期休職からの復職なのだから、他の社員以上に報告をしないといけない。これは、私に課せられた義務であり責任であり、仕事の一環なのだ」と割り切った。

この姿勢を、上司も評価してくれた。

2.同僚、友人、家族に打ち明ける

不安や悩みは、大きなものから小さなものまで、同僚・友達・家族に打ち明けるようにした。相手の反応や答えを先読みせず、自分の気持ちや状況を、素直に冷静に落ち着いて言葉にするよう心がけた。

恥ずかしいとか情けないとか、そういう気持ちもあり、話すのをためらう時があったり、口にする事が怖くてものすごく勇気がいる時もあったけど、いざ話をすると「こういう話をできる事はカッコいいと思う」「その強さがうらやましい」と言ってもらえる事もあり、その事が自信に繋がっていった。

自分がその話に飽きるまで色んな人に聞いてもらった。何人かに話をしたら、悩んでいる自分に飽きてくるようになった。そうやって、「今はこういう焦りや考えが出る時」と割り切る事ができるようになっていった。

●寛解に気づく

ある時、ふと気づくと、

✔過ぎたことを気にしないようになっていた。

✔自分の力ではどうしようも出来ない事は、“それはそれ”と認めて受け入れ、必要に応じて考えたり、割り切ったり、時には「もう、知~らない」と切り捨てられるようになっていた。

✔病前や闘病中には出来なかった考え方が出来るようになり、それを言動に移す事が出来るようになっていた。

「なんだか最近は、心穏やかに楽に生きられるなぁ~」と思っていたけど…、あれ?もしかして、これが寛解???

へぇー。寛解ってこんな感じでするものなんだなぁ~。

「気にしない~」と割り切りすぎて、もはや寛解に対しても超ドライな私。

 

 

ということで、気づいたら、うつ病寛解しちゃっていました\('ω')/

 

~おしまい~

 

2020年7月 キューちゃん